私の故郷は、山の斜面に形成された6軒の家からなる村です。この村は典型的な日本の里山で水田を主体とした農耕集落であった。夜にはフクロウがホーホーと鳴く声を聴いていた。夏、村の小学生は蛍狩りに毎日出掛けた。蛍は学校に集められ、聾唖学校に送られた。聾唖学校で蛍は産卵から幼虫まで育てられ、我が小学校に戻された。村の小学生はこの蛍の幼虫を近くの川に放流していた。私の家は小学4年まで電気が来ていなく、照明には灯油ランプを使用していた。更に、水道も無く、近くの井戸から飲み水を汲んでいた。また、当時、この村では牛を飼い、牛を使って田畑を耕していた。私はこの村で小学卒業まで暮らした。
中学校からは都会へ引っ越し、その後は、都会暮らしを続けている。学校を卒業してからは会社勤めをしている。長年、事業/開発/コーポレートの企画の仕事を行って来た。また、2機のメガソーラー発電所(MWクラスの太陽光発電所)を導入した。現在は、エネルギー管理士、電気主任技術者3種などを活かしたビル管理を行っている。